タマシギが街にいたころ

欲求が満たされて歌う

欲求が満たされて歌う
D田ハイド前の図 欲求が満たされて歌う
攻撃に駈け出そうとする雄(参考、A田)1974.4.4
3月に入ると雄の縄張り意識が目立って強くなり、番(つがい)の雌はむしろ控えめな行動をしだす。つまり、冬の間特定の場所を独占していた雌は控えに回るのである。1975年3月9日、駒井ビルのハイドに入っていた私の目の前ではこの年初めての歌声が響いた。夕方5時23分から6時24分までの記録をたどってみよう。
ハイド前の空間ほぼ真ん中に水たまりがあり、この水たまりがタマシギたちの争いの現場になっていた。問題の番はハイド前に陣取り、他の個体は遠巻きに控えている。この日は、北西隣の家の石垣近くにいつもの通り独り者の雌が出没していた。番雄はそれが気に入らず、わざわざ出かけていきその雌を追い払う。
何度目かに独り雌が向かいの石垣のあたりに侵入した時(5:33)も、雄は激しく追い立てに出るが雌は何もしない。今度は、番相手の雌が独り雌と並んで採餌しだす(5:39)と、雄は頭を低く保つ攻撃姿勢のままターッと走り、雌たちに迫った。すぐに番雌は反応して戻り、ハナショウブの株の脇で番の二羽は揃って採餌しだした(5:44)。
間もなく、当の雄はとても思いを込めた風に体を固くし、首を立てて、足踏み風にトコトコ歩きをし、一度は雌の真後ろから、もう一度は真横から体をすりつけようとした。このトコトコ歩きが問題なのだ。性的な興奮が非常に高まった時の動作である。このあと雌は何も反応しなかったが、雄の方は、何度も独り雌を追っ払いに出た。その帰り道に雄は何もしない雌に威嚇の態度をとる。雌は、遠くから首を立て胸を張ってみせるが、ただのポーズに過ぎないという印象があった。
こんなことを繰り返しながら、ハイド前に陣取っていた番は、6時を超えると、2羽で水たまりに出て、そこで雌の歌になった。6時21分コー8回、22分6回、23分7回、24分4回であった。縄張りを雄にわたし、番の関係が進むことで満ちてくる充足感が歌の引き金になっているようであった。
中林光生

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■ゲストブロガー紹介■
中林 光生(なかばやし みつお)
ナチュラリスト、広島女学院大学名誉教授。
1940年新潟県長岡市出身。関西学院大学卒業後、主任教授に薦められて広島女学院大学に赴任。1988年から女学院大学教授。
18世紀から19世紀にかけての英文学、特に「詩」の研究、指導に当たる。
ナチュラリストの全盛期とも言える時代のイギリスの詩は、人間と自然の濃厚な関わりあいに裏打ちされているが、
もともと自然好きだった著者は自ずとその精神に染まり、長年に渡って身近な自然を詳細に観察。
2005年4月広島女学院大学を退職し、憧れの“専属ナチュラリスト”に。日本野鳥の会広島県支部初代支部長。

論文「湿田のタマシギ」(『アニマ』No.86、1980年 5月号、平凡社)
著書『大きなニレと野生のものたち』(共著)文芸社、2004
『あるナチュラリストのロマンス - 太田川に遊ぶ』メディクス、2007